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31日  水曜  流行歌とは

08年も残すところ4時間となってしまった(現在時間20時19分)。
人それぞれの思い出の残概を記録していくのだろう。私の場合は、と行き止まる。

偶然だった。ラジオを聞きながらの「ながら族」の暮らし。昨日は五木ひろしが登場した。番組名は「思い出の昭和歌謡」と言う。今日は小沢昭一が。二日間、5時過ぎから耳を凝らし、メモを取りつつ聴く。こんなに真面目にと、自分がおかしくなるのは久しぶりだ。
記録を残す。08年の最後は「昭和歌謡」の一つの歴史となった。

五木ひろし
芸名を現在にするまで三回も変えている。山口洋子、平尾昌昇に見出される時は素人も参加する全国の歌謡大会で勝ち抜いた。10回でプロへの推薦がある。彼はすでにプロだったが、売れないと言う中で最後の賭けにでた。ダメだったら福井へもどり農業をと考えていたようだ。

1960年代は本当に不遇な時代だった。
松山まさる、一条英一、三谷謙の名前。

1971年 作家・五木寛之から山口洋子が名前を貰ってくれ「よこはま・たそがれ」での五木ひろし時代が始まった。
その後は、様々な作詞家、作曲家などの関係ができて今日を迎えたと言う。
08年3月13日は、彼の還暦。
思いで深い歌。20代は「夜空」、30代「おまえとふたり」、40代「暖簾」、50代「ふりむけば日本海」と言う。
それにしても「恨み、妬み」の激しい世界、味方にできる能力も才能の一つだろう。

31日08年最終日は小沢昭一 御大将の年末に相応しい出番だ。
時間系列で記載していくしかないほどの面白さだった。
※「女の階段」古賀作品、オヤジさんが好きな歌、お袋さんが来ると消したと言う。何やら怪しげな雰   囲気、当時は判らなかったと言う。歌詞には「君にささげた真心の~」「信濃の~」「浅間山」など長  野出身のオヤジさんの思いがずっしりと、、、。
  明治大学のマンドリンの響。お袋さんと聞いた音を今も覚えていると言う。
※「並木の雨」コロンビア・ローズ 歌を聴くと美人画を見ているような感覚だ。タンゴ。
※「谷間の灯り」東海林太郎、昭和8年にアメリカで歌われ、9年には歌われた。軍国少年の小沢は   中学3年から海軍学校へ、母親が懐かしくなると便所でこっそりと歌ったと言う。バックにはオーケ  ストラの演奏が。此処から「カラ」と言うのが流行り「カラオケ」と言うコトバになったと言う。
※「夕日は落ちて」
※森の小道」  灰田勝彦、兄が作曲。戦局厳しくなり「特攻隊員」は飛び立つ前は酒が配給に、飲ん  で歌うのは軍歌ではなく、この歌や映画 愛染かつらの主題曲 旅の夜風が多かったと言う。当時  を知る小沢ならではの苦渋の08年の発言を重く感じた。
※聞き損じてしまった。小唄勝太郎の歌った歌、題名は?。軍ににらまれないように工夫した歌だったと言う。歌謡曲といえ「歌う」のさえも大変な時代があったという記憶だけでも08年の「宝もの」になるだろう。声高に勇ましい発言だけが「国益」になるとは限らないと言う「歌」だった。
※昭和31年 三橋「哀愁列車」 歌詞の中で「惚れて」を三回流す事で三橋の民謡の声をという作詞家の意図が成功したと言う。小沢のお袋さんは、三橋のフアンでよく聞いていたと言う思い出を語っていた。
※なんといっても「ひばり」。ひばりが歌った「ああ浅草」をひばりの前で歌うがひばりは「知らない」と語ったそうだ。「粋な日本のモンマルと~」と仏蘭西の匂いと浅草の匂いを描く、セーヌ川と隅田川、明るく洋楽ぽく歌うひばり、スゴイ。
※映画「浅草の坊ちゃん」主題歌が「浅草の歌」、これを小沢昭一が歌う。なんともいえない味のある声だ。
※最後は東京ラプソディーを昭一氏のハモニカで閉める。

本当に歌謡曲とは「流行歌」だと言う思いがした。
今年は「本当の努力家」とはの答えがでた「遠藤実氏」が亡くなられた。
08年は暮れてきたが(現在時間9時半過ぎ)、09年の「流行歌」はどんな、誰が。

さようなら、08年よ。

30日 火曜 今年の反省

いよいよ暦の最後の日が、残すところ一日となった。
例年のことだが、今年は慌ただしい流れとなり、せわしないままに年末を迎えてしまった。
長い「人間稼業」の中でも記憶にはない「気ぜわしい」と言う感覚が残る。

世間は「2008年」をなんと記載するのだろうか?

加藤廣著「信長の棺」では、<世間虚仮 唯仏是真>なる聖徳太子の言葉が引用されている。信長の伝記を書き続ける大田牛一「信長記」を巡っての問答だ。

「書き物」に<虚仮>(こけ)が混じろうとも、心を込めて書くならば後世の読み手は、真実以上に感動してくれるに違いない、と語る。

其れを「真妄の境は幽妙」と言う。

成る程な、書くものが「壮大」でもなけれど、矮小なものでもなけれども、日乗のささやかな暮らしでも「同じ」と思わずには、書きつづけられない。

よく訪問させていただく個所でのブログ。
その一、
何に腹立てたか「中止宣言」をされたものの「三が月半」で復帰された。其れも「政治学者」と自ら名乗り(そうだとは思う)、政治世間の反応を記載されていた。まさか「ブログ」での政治参加を「過大評価」されてはいないだろうな、と危惧はしていた。どうやらご自分の文章による「自己収斂」での行き詰まりだったと、みてはいるが、復帰されて書き手の気持ちも吹っ切れればよいと見立ててはいる。

その二、
相当に時間をかけて練った文章。その都度に「成る程、こう言う事柄は過去のあう云う事につながるのか」と総合的な学識溢れる記載だった。
09年、一ヶ月の保留時間を置いて「有料」へ切り替えるという。業者との作業をはじめていると言う。
月300円の有料になると宣伝されていた。以前から読んでいる感想では「知識等」をひらけかすボンクラ記載ではなく、人柄も人品ある方と尊敬もしていた。
記載への投資する時間と記載される内容の評価。訪問する「数字」が唯一の「評価」バロメーターなのだろうとは思う。
一日に何十万と訪れる。維持するのは大変だろう。
残念だが、有料では、私は訪問は中止せざるをえない。

その三、
最近は「政治活動」に関与している方のブログにも変化が始まった。書きたい時に「書く」というスタイルに変えていくという。其れも結構だと思う。以前は「書き溜めた日記ブログ」を書籍にされていたこともある。
ブログ発信は「自らの意思」。読まれる、読まれない(訪問する数字での判断)は、こちらの都合だが、自らの意思と読む側の相乗効果を異常に考えておられるのではないだろうか、と疑問をもった。

その四
その都度騒がしいきな臭い話しをテーマにされていたTVにも顔をだす「いがぐり頭」で極端に異論を挟む方が「有料」にされてからは「一度も」訪問をしていない。インターネットでの社会では、クリックしなければ「終了」なのだが、訪問させるような「騒ぎ」「話題つくり」の作為は薄汚い文種族のやることだろう。
同じような流れでは、民主党インチキ若手の偽文書事件当時に訪問数を飛ばした女性ブログ、冷ややかに、そ知らぬ顔で「書いたものを書籍」にされ、訪問客には「無断の引用」をきつく「恫喝」されていた。この手のブログ傾向はそろそろ終りだろう。

今年もあれこれの書き手の方々のブログに多いに刺激をされ、何とか休むことなく虚仮の「あれこれ」を書いてきた。
考えてみれば、世間の出来事をそのままになぞり、虚仮にもならぬ浅はかな記載が多かった、と反省するのみだろう。
「虚仮」と知りつつ書き続けるエネルギーは、私はスゴイ、と思っている。
だからこそ、日記なのだろう、有名、無名に関わらずだが。

29日 月曜  今年の「讃歌」を思う一日だった

このところラジオを聞きながらのあれこれの作業が続いている。
昔風に云うならば「ながら族」と言われた時代が懐かしい。今風にはどういわれているのだろうか?

「歌手漫談家」と言うのだろうか、失礼ながら「お名前」を聞き損じてしまった。歌で様々な世相を語るかただ。確か「リピート、、、」と残音が耳に残る。やはり年は取りたくないものだ。瞬間的な音域を聞き逃す事が多くなった。

面白い歌が記憶に残る。
彼が言うには「五臓六腑」の臓器は其々に「名称」や「内容」が取り上げられ、世間知恵では大事に語られている。
だが、「膵臓」は、機能的には、五臓六腑に引けを取らぬ、人が生きていくのに最も「大切な臓器」の割りには、冷や飯喰い扱いだと言う。

成る程、云われてみれば納得だ。
胃袋の流れに沿って背中の方にしがみ付いている。これがダメになれば「糖尿病」から始まり透析と、闘病との日々が続く事になる。

彼が言うには「五臓」とか「六腑」など、世間知恵でも引用される臓器。
こちらの方は、病んでしまって初めて「語られる」と言う。世間で云う「裏世界」「縁の下の力持ち」としか「世間の光」が当たらない。

成る程、成る程とうなずきながら聞きほれる。
長年の友人で、今や「週三回の透析」治療を余儀なくしている方がいる。
年に数回しかお会いしない。
今年の11月、例年と違い「体調の不都合」が続いた、と手紙が舞い込んだ。

週三回になってからは、すでに10年は経つ。
よく頑張っているな、と言う感想しか言えない。
午後早めに自宅を出て治療のできる施設を持つ病院へ。
夕方早めの「夕食弁当」を持参する。自前でだ。ちょっと前までは「僅かでも支給金」がでていたと言う。週3回の時間は、まともな勤務システムの仕事は廻っては来ない。大きな実費の持ち出しになる。

すでに手紙が来てから時間は一ヶ月を過ぎる。
返事は書いていない。
電話も、何故かしにくいままに時間が過ぎる。

冷たく扱われる「膵臓」。その「讃歌」を聞きながら自分の膵臓の今年の「来し方」や「友人の膵臓」の時間をじっくりと考える一日だった。

28日 日曜   豊かさを更には「難しい難問だ」

常日頃から注意深く追いかけていた経済評論家、長谷川慶太郎氏の「平成恐慌なんてあり得ません」 WILL―2009年2月号を読む。
雑誌の号数は2月号になっている。すでに、09年も早い時間で動いているのだろう。

国際的なデフレは不可避と言う。
デフレでできる事は、公共事業しかないという(ハコもの、農村に無駄な道を作るなどを連想してはダメ)必要なのは「都市集中の事業」と言う。踏み切りの立体化など<社会設備と近代化をやり、市場を拡大すること>と言う。

「デフレ」では物価が下がるだけではなく、金融面では巨額の余裕資金が溜まるという。

戦前のデフレ、戦後すぐのデフレなどを知らない私たち。

アメリカを覗くと次なる戦略は、確かに経済対策と雇用促進のための公共事業に、オバマは1兆ドルを投じると言う。
道路の補修。
ブローバンド、光ファィバー。
この二つの「整備」で経済の浮揚と雇用の解決を図ろうと考えている、と言う。

成る程な、と思う。
動き出せば早い反応を示すアメリカ人の気質。
列島も「池田内閣」での所得倍増、田中内閣での列島改造論と、素早い動きを示した時代がある。
何時頃からか「借金を孫子の代まで引き伸ばせない」という「美談調」での囁き、そして「国家予算のバランス」をとの「掛け声」の下に、21世紀の幕開けが今日に到った。

要は「国民が豊かさ」を感受できるかどうかだ。
それ以外に「良い政治も、悪い政治」もない。理屈は後からいつでもついてくる。
今までの戦略で、ある意味での「豊かさ」が列島に流れた。
だが、更なる「豊かさ」をどうやって感受するかの「波乗り」の高さが見えなくなってきたのだろう。

この「更なる豊かさ」と言うのも、どう判断する「レベル」を作り出せるかと、難しい。
極端に言って、「貧困での死亡」が限りなくゼロに近づき、「精神的な不安」での「増加」の辺りへの移動線上なのだろうか?

アメリカ財務省、FRBなど「金融関係者」の技術を駆使しての資金投資で市場の株価は8000ドル台を維持している。何やら安定化の空気が流れる(金融技術の駆使での政治的な駆け引きの面白さを解説できる日本の経済評論家はいないのだろうか?)。
やはり、疑問が残る。
危機発祥のご当地、アメリカよりも「何故に(表面上だけの動きかも知れないが)労働環境での<不安>が先行し、社会からエネルギーがなくなっていくのだろう」か?

小泉改革の理論家「竹中氏」も最近はよく雑誌、TVなどにでる。
そして「構造改革」が不十分だからこそ「やらなければ」日本の経済は復興しない、と言う。

どうしても、そうだろうかと、と納得がいかない。

経済理論の60周年サイクルに従うならば、様々な構造の傷み、歪みが来ているのは確かだ。
「豊かさ」の中での更なる豊かさへの上昇をどうするかだと思う。

貧しさから豊かさへの「手法」では、心もとないし、役にはたたないだろう。ならばどういう手法がと思えども見つからぬままに今日かで到ったのが正直な話だろう。
列島住民の未体験の実験が始まるのではないだろうか。そのエネルギーは列島に在りや無しや。

豊かさの更なる上昇への「理論と手法」は、構造改革という「コトバ」だけでは、進まないと直感した庶民は「政治のバランス」を投票と言う形で「衆参のねじれ」を作り出したのでは、ないだろうか?

だが、この後はどうするか、庶民も悩みながらの08年暮れが更けていくというのが正直な辺りだろうと、思う。
それにしても「長谷川慶太郎氏」の説明は「単純明快」なだけに、其れを実行できる「政治部隊」までは、<想定外>なのではないだろうか、とふと疑問をもった。(氏の論文では<麻生首相の思い切り一つです>と締めくくってはいたが)。

27日 土曜  クロ母親が戻ってきた?

寒さが本格的になり、気持ち的な慌ただしい年の暮れになった。
海外へのピークは今日だそうだ。成田は大混雑。

寒いのもなんのそのと、5時半頃に外へ出る。玄関で外の空気を腹いっぱいと言うか未だ濁りきらない清涼な空気を胸に吸う。

チラリと猫の動く姿が目に映る。

この時間、まだまだ薄暗闇、判然としない動きに目を凝らす。
確かにネコ、其れも以前に見たことのある「クロ母親と子供たち」の母親ではなかろうか、と記憶の束を探す。

地域の皆さんのお陰で「無事に」里親もきまり、子供二人は一緒に、母親は別の家でこの寒い冬を外で耐えることなく、正月を迎えられる、と喜んだばかりだった。
まだ1ヶ月も経ってはいないだろう。

それに、わたし自身がこの時間帯にすでに起床はしていても、外に出る習慣はない。
どうしたんだ、と声をかける。
黒いものが道の反対側のバイクの下に移動した。
じっとこちらの値踏みをしている。薄暗がりの中でぼんやりとしか姿像はさだかではない。

何といえばいいのだろうか、ブルーでもない。
緑っぽい目の光だけが、じっと私を見ている。
再び声を。
どうした、戻って来たのか?
ミヤ~と言う鳴き声を、耳だけは聞いた。

ドア―を開けて電燈の明かりが私の姿を、そして「クロ」の姿が見えやすくなるまで「扉」の空間を広げた。

やはり、あの「二人の子供」(一人は母親似の黒、顔がタヌキっぽいと当時は愛嬌もありフアンが多かった、もう一人は何故かアメショぽい模様の、動きの素早くなかなかなつかなかった)の母親だ。

当時よりもしっかりとした体形になっていた。
漱石先生の家で飼われていた黒猫と同じような姿だろう。
目の色からみると列島産ではなく、ハーフと言う辺りだろう。

ちょっと待っていなさい、と声をかけ、我が家の食糧にしている「固形物、カリカリ」を皿にいれて持参した。
見ていると失礼だと、席を外す。
30分経ってから外へ。
皿は見事に空になっていた。姿はすでに見えない。よほどお腹を空かしていたのだろう。

里親の家から、ここら辺りまでどうやって戻って来たのか、もどった理由は別れた子供探しなのだろうか、といろいろと聞きたい事があったのに、姿は見えない。

寒空、どこで寝ているのだろうか?
次から次と、心配事が増えてきた。
年末の心配事が増えてしまった。やれやれの年末だ。

26日 金曜   桂米團冶をまったく知らなかった?

桂米團冶襲名で、(桂米朝の長男が継ぐ)TVでの南座襲名披露の奥の深さを記載したもののこの米團冶なる落語家を知らず、調べたが、やはりよく判らない。

桂米朝(かつらべいちょう)
(1925― )
上方(かみがた)の落語家。本名中川清。大東文化学院に学ぶ。1947年(昭和22)に4代目桂米団治(よねだんじ)に入門し、米朝を名のる。米朝の名は3代目で、初代は2代目米団治、2代は3代目米団治の前名。上方落語の発展のため精力的な活動を続ける優れた口演者であるとともに落語研究家としても第一級。芸術祭賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受ける。『米朝落語全集』『米朝上方落語選』『落語と私』『上方落語ノート』など著書も多い。96年(平成8)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2002年文化功労者。
[執筆者:関山和夫]

どうやら父親の米朝が4代目の米團冶に入門し、米朝の三代目を継いだことは判った、そうすると「米團冶」の流れは、お世話になった四代目への恩返しと言う事だろうか、理解した。

桂 米団治
1.芸名/桂 米団治(かつら よねだんじ)
2.本名/中川 明
3.生年月日/1958(昭和33)年12月20日
4.出身地/兵庫県尼崎市(出生地は大阪市南区)
5.血液型/A型(RH+)
6.入門年月日/1978(昭和53)年8月1日 桂 米朝 
7.出囃子/元禄花見踊り(他に“さわぎ”など)
8.紋/三つ柏
9.趣味/ピアノ演奏、油絵、モーツァルト・古代史・国際経済の研究
10.ホームページ/http://www.beicho.co.jp/
11.所属/米朝事務所
12.自己PR/1978(昭和53)年8月、関西学院大学在学中に、父である桂米朝に入門。同年10月、京都東山安井・金比羅会館での「桂米朝落語研究会」にて初舞台。以来「桂小米朝独演会」「米朝・小米朝親子会」など数々の落語会に出演している。趣味はピアノ演奏、絵画、モーツァルト・古代史・国際経済の研究と幅広く、オーケストラとの競演の仕事も多い。各分野で新しい試みを披露しつつ、「王道を見失わずに歩む」を信条に古典落語に対しても真摯に取り組んでいる。平成20年10月4日、五代目桂米団治を襲名。

成る程、これで「米團冶」の系列が残る事になったと言う事だろう。
若い5代目、上方落語の粋を聞かせてもらいたい。

4代目などの「実際の声や演じた仕草」などの資料はないものだろうか。
図書館で資料を探してみよう。
お判りの方は、教えてください。

25日 木曜  落語、桂米團冶の襲名

15℃、11月の暖かさ。
懐が薄い我輩には嬉しい事だ。

多少の身体的な不都合はあっても、じっとはしていられないのが我輩である。
散歩にでる。
ひたすら歩くのみだが、年末の風景画が多少は見える。
一円でも安いものを、と大勢の人が街に出ている。

残念ながら「買う」のではなく「下見」と言う人出だろう、と拝見した。
其れでも、個人商店の客を呼び込む「だみ声」が威勢良く響く。
頑張って欲しい。

隣りの町の境界まで歩く。ちょっと一休みと図書館へ。
此処は小さな場所だが、文庫本、歴史もの、旅行関係がまとまっている。

文庫本、「猫語がわかる」。
ひなったぼっこにちょうど良い場所を見つけ、ぽかぽかなガラス越しの陽を背中にたっぷりと吸い込む。
様々な「物書き」が自分の「ネコ」についての自慢話しを読む。
自慢話しは得てして面白くないものだが、この手の話は上手いものだと感心する。

皆さん、ネコを綴るが、結局は自分を綴っている。普段の作品からは窺い知れない顔が覗く。

早めに自宅へ。落語の大切な話しを思い出した。
人間国宝、桂米朝の息子さん、大阪南座での襲名式をTVで見る。「桂米團冶」と言う歴史的な、今や知られざる「名前」を継ぐと言う。芸名を継ぎ、伝統が生まれる。こんな引継ぎならば「親から子へ」の世襲は、いいものだろうと思う。
祇園の綺麗どこ、芸者衆の踊りや襲名時でなければみれないモノ、諸先輩の語りが聞けた。

24日 水曜 クリスマス・ケーキ

この時期は、大判振る舞いでよく飲んだり遊んだりの暮らしが列島の風物詩になっていた。

華のキャバレー、サービス券が盛んに配られてクリスマスを楽しむ。
この当時の遊びは可愛いものだ。あっけらかんとした雰囲気があった。キャバレー太郎などという面白い方もいた。江戸文化の粋、浮世絵・版画研究家でもあった。その道の著作物もある。なんと夜の世界も奥が深い。

キャバレー遊びの好きな友人は、鼻の下を長くした分だけたっぷりと「当日券」を買わされて、私など貧給の輩たちは、この友人のお零れに連れられ年に一度の「メリークリスマス」と信者に変身をしたものだ。

更には、クリスマスケーキ販売の威勢の良い声が街中に響いた。景気が悪い時でも、我が家に相応しい「大きさ」のケーキを求めて、其々の家路に向かったものだ。子供たちの喜ぶ顔、家庭を持ったことの満足そうな奥さんの顔、、、なんと幸せな「クリスマス」が、一夜だけでも宗教無関係に楽しむ列島の暮らしがあった。

世の中も落ち着き始め派手な動きはなんとなく静かになっていった。
そして、長い不況の波がやってくる。実態は不況でも数字ではいざなぎ景気を超えるとまで言われてきた。其れでも「窓際族」「企業内失業」等と言う「ある意味では」のどかな日本企業の「余裕」の空気があった。

21世紀に入るやいなや希望の世紀も、慌ただしい煽られるような政治の世界が登場した。列島も揺れた。そして為政者も、企業責任者も使い捨てのように入れ替わった。

昨今は嫌な分類用語が当たり前のように使われた。人の気持ちを逆なでするような貧相な用語を使いながら「説明」するのが当たり前になっていった。
なんと貧しい説明の仕方だろうか?
人は列島に生まれ、列島の自分の街で亡くなるのが当たり前と思ってきた。
「姥捨て山」と言うのもある意味では悲しいが、列島民の作り出した知恵でもあった。
その知恵がなくなるように「自殺者が年間3万人」と言う数字は消えることなく続く。

今年は、「オヤジやお袋」が息子や娘を「殺す」と言う事件が多かった。
なんと悲惨な社会現象なのだろう。逆は今までは「様々な理由で」あったが、今年は「異常」だと思わなければ、何を信じていいのかの基軸が揺れているのが実感できる年でもあった。

「勝ち組、負け組」「格差社会」「貧乏」「後期高齢者」「使い捨て」「派遣社員」「期間従業員」「毒入り食品」「偽装~」「円高不況」「首切り」、、、。
08年、10月のリーマンブラザース破綻が引きがねに、一斉に世界は収縮へ向かった。

他人事のように「使われていた用語」が身近な友人や自分の事として実態を持ち始めてきた。
09年は、更に実体経済は歪みが拡大して来ると言う数字が溢れ出した。

もの心が出始めた頃、ケーキの美味しさを知った。宗派を変えずともケーキは、クリスマスの時にしか食べれないものだと長い間思っていた。こんな事は人には話せない「自分だけの不思議な物語」として溜め込んできた。
自分の金でケーキが食べれる時代になっても、クリスマスのケーキこそが本物だと思ってきた。

家庭を持ち悪友のクリスマス・キャバレーのサービス券が来なくなった。
子供が生まれ、クリスマス・ケーキ販売の声に煽られるように、その都度の仕事の財布の膨らみに合わせてケーキの大きさも変化はしたが、子供が待つ明かりの下に急いだものだ。

ケーキ販売の声は聞こえない。
ケーキの箱を持つ幸せそうな顔にも街頭で見かけなかった。

子供たちは其々のクリスマスをおくる。
いただきもののケーキを家人と二人で食した。相変わらず宗派は異なるもののクリスマス・ケーキは美味しかった。

23日 火曜  天皇誕生日はいつも晴れる

天皇誕生日。
お疲れのようだ。様々な行事日程をこなしておられる。
ストレスから来る胃潰瘍らしい。
ちょっと残念なのは記者会見がなく、文書による伝聞だった。
やはり、疲れ方が酷いのだろう。

戦後の文化面での活躍は、国民から見ても頼もしい「象徴」としての形態でも在っただろう。
「政治的」なご都合での周辺での「利用」は避けるべきだろう。

22日 月曜  フォードが生きていたならば~?

不思議な一日だ。
昼間は20℃ちかい暖かさ、午後から小雨が、そして夕方遅くからは4℃。
身体がだるいと思っていたが、これが理由だったらしい。

月例経済報告がでる。
政府の景気判断としては前回の「弱まっている」から「悪化」と言う表現に変わった。「変わった」と言うことでマスコミは大騒ぎ、経済評論家も、文章表現よりも「実態」への作業への遅れが目立ち、読んでも感覚と離れすぎ、興味が半減だ。

アメリカ流自動車業界の「生き延び工作」は、流石に「共和党」や民主党の健全な保守的判断で、上院での否決、政府の「判断」に任されたが、ブ政権も残す期間は短い。無難に使える資金で乗り切ったが、最終的判断はオバマ政権に先送りをした。

特権的な「経営者や労働者」で守られたアメリカの自動車。
真似をするように「日本の自動車業界」も動きたいのだろうが、日本的な雇用環境で「派遣、期間等」の「使いやすい労働条件」に甘えながらの「計画」は、ここに来て社会の批判の強さに耐えられるのだろうか?
アメリカでは労働者も「組合」に守られた「特権組」。
日本では「都合よい派遣と期間」の「切捨て弱者組」。

生活の中にしっかりと組み込まれた便利で楽しい車。
なくなることは考えられない。自分の生活のレベルと嗜好で、様々な種類から選別し、選択できる車。

作る労働者が「自分の給料で」購入できる車を作る―――これが欧州の高い車作りから「安く」大量にと、フォードの先見性が、20世紀を引っ張ってきた。彼の「努力」は世界の注目の華だった。
ここで考えられた「生産システム」は、モノを作る現場はもとより学問世界まで浸透した。
私たちの日常生活での思考は、余りにも多くの影響を身に纏った。モノに囲まれた豊かな生活を作り出した。

「車を製造する労働者」が「製造した車」を購入できない「社会」とは、どう考えれば良いのだろうか?
フォードが生きていたならば「どんな反応」を示し、考えを述べるのだろうか?

21日 日曜    猫村と冬至

雲ひとつない切れるような青空。
時間が経つに連れてもやっとした妙に暖かな空気。
4時過ぎから私鉄沿線の神社に散歩へでる。此処には、茶とらボスを中心に3つぐらいの集団が集まってくる。どうやら「どなたが」餌を持参しているようだ。夕方辺りかと出かけてみたが、不在。猫たちも姿を見せなかった。最近の人間界のあれこれで、餌を持ってきてくれる「どなたか」がどうやら場所を移動したようだ。
昔の木造神社と異なり、コンクリートで固めた神社は、住みにくい。
緑も多く、住みやすい環境とは思うのは、人間さまだけだ。子供や大勢の大人が集まる神社に隣接した公園もダメだ。

何やら住みにくくなったものだ、とあちこちを歩く。
個人住宅街の家の前か、横に車置き場所があり、植垣もちょぴりある空間が、どうやら住みやすいらしい。
暖かな陽の残りを惜しむように寝転がっていた。

気持ちが悪くなるような暖かさだが、風が強くなってきた辺りで散歩に終止符を、自宅にもどりニュースなどで世間の動きなどを追いかける。
厳しい景気動向での寂しい話しばかりだった。

冬至。
レバーのソティー、付け合せにかぼちゃ、酢キャベツを添える。
これでは冬至を満たさぬと、蕪のおしんこに柚子を添える。
風呂は風邪気味なので止める。例年は銭湯で楽しんではいたものだ。

20日 土曜   歴史は週末に作られる?

年末の週末近くになると重大発表が癖になったのか、アメリカは「政府とビッグ3のうち2社へ緊急融資政策」を発表した。
週の初めには「ゼロ金利」と言う基軸通貨の国が史上初の行動に動いた。
そして「日銀も0.1%」への政策を決めた。

アメリカFRBの政策決定者はヘリコプーからドル札を撒くと言われる人物だそうだ。
何振り構わず「現状」への挑戦を急いで動いた。其処まで金融工学での「出鱈目」が傷口を広げてしまっているのだろう。

ドル安、円高で新たな還流が始まった。(ある意味では日本叩きの進行だろう。アメリカ、英国の生き延び作戦が進む。日本勢はなすすべがないのだろうか?)
トヨタ内部保留保留12兆円、現金は2兆5千億、ホンダも現金1兆円を持つ、株主配当もしっかりと計画されている。期間従業員、派遣社員の悲惨な話しが流れるだけで、当事者での救済情報は聞けないままだ、日産・ゴーン氏は16億超の役員手当てが出ていると言う。

GMとクライスラーへの緊急繋ぎ融資は、ブ政府と民主党幹部の下書きで下院は通過したが、上院で否決。そこで以前決めた「7000億ドル」(金融安定化法、63兆円)から政府独自で使える3500億ドル枠でGMへ134億ドル、クライスラーへ40億ドルを支援、だが、来年2月のGMへの40億ドルは議会の承認が必要、3月まで再建案を作るが、認められないときは金の返済と破産が待っていると言う。

成る程、政権と議会がねじれている時の政治の進行は、こういう事かと勉強になる。
自動車組合と共和党のにらみ合い。
ブ大統領の嫌らしさというか抜け目ない配慮。民主党幹部とのボス交が政権末期で効き目がない。
当面は動けるが、オバマ政権はすぐに「対処」せねばならない。

今や欧州勢とアメリカ勢での自動車業界大連合の話が進む。その時に欧州ルノー会長ゴーン担ぎ出しの可能性が大きいと噂されている。

09年の基本は世界は「デフレ基調」で進行すると言う事が、今週の日・米「ゼロ金利」突入ではっきりとしてきたのだろう。
どんな世界の「映像」を想像すればよいのだろうか。

08年夏場頃は、わが世の春とばかりに膨大な利益還元をボーナスとして受け取っていた人々が去って行き、09年春には、どういう方々が「役者」として登場なさるのだろう。
少なくとも「詐欺師」的な方でなければ、「良し」とせねばならないだろう。気が重い週末だった。

19日  金曜  今日も歩いた、流儀のひとつ?

やれやれ、どうもすっきりしない身体のためにと、今日も歩いてみた。
わざわざ「歩く」と言う粋人らしい散歩ではない。とにかく「歩く」事をしないと、自分の仕事関係や趣味のコトガラが上手く先に進まないように「予定」を作ることだ。

友人の友人が「運動と言うか身体を動かす習慣はどうすれば?」と訪問してくれた。
前回は理屈ぽい冷たいもの言い立った事を謝りたい、そこでと言っては何だが、私なりの流儀の一つをご披露したい。

私が住む都会では、自分の地域に隣接している隣りの地域にある「図書館」も使えるという便利さを利用している事だ。
調べものをするにも、其々の図書館の在庫の特徴を利用して、なるべく「遠方の図書館」を選択する。
それも、一箇所で用が足せるとしても、何箇所かに分ける。

結果として「歩く」、あるいは自転車での動きが必要になる。

季節の折々には、道筋の「花柄・植物分布」(名前などは知らなくても良い、知っているに越した事はないが。咲く時期をインプットするだけでよい)を歩きながら、季節感覚を脚に覚えさす。
住宅街などの個人宅花壇なども重要な情報だ。

そして大切なのは、私にだが。
猫村の分布図だ。此処に住む住人の色、模様、顔立ち、権力関係などを時間をかけて知る努力をすると、気になるもので図書館へ行かないときでも「歩く」ことにあんる。

道筋にある珍しいお店などにも注意している。取り立てて珍しくなくとも良い。野菜の店、いわゆる八百屋だ。魚屋、御茶屋、文具店、花屋等々。そうだ、歩き疲れを取る一息入れる時の「甘もの」鯛焼き、大判焼きの店は貴重だ。
何処にもある「専門店」で、コンビニなどの系列店ではない店が、自分の知らなかった「事実」や季節のコトガラを教えてくれる。

今日は副都心に近い図書館で勝海舟を見つけ江戸幕府に採用した頑固で武士世界を誇りにしていても柔軟で開国以外に道は無いと幕府中枢で働いた「大久保一翁」、<勝海舟を動かした男、徳川幕府最大の頭脳、大久保一翁」 古川愛哲著、グラフ社を読んだ。珍しい本で此処にしかなかった。

読みたい本は各図書館へ電話を入れる。ポイントは、「必ず近場の図書館へ取り寄せましょうか?」とサービスをしてくれるが、これをせずに、置いてある距離のある図書館へ出向く事だ。「歩く」ことになる。

そうだ、マックを忘れていた。120円のコーヒーが残念にも180円に値上がりした。全店売上が5000億円を越え業界初めてと言うから強気だ。其れでも、長時間気兼ねなく粘れるのが良い。そう言えば、日本でのマック創業者「藤田 田氏」は引退してからどうされているのだろう。立派な経営者だと思っている。歩いていて、突然にトイレの心配、あるいは読書熱が出たときは、歩く方角の数箇所に記憶しておくと便利だ。

こんな簡単な事を年がら年中やっていると、自然に楽しく「歩く」ことができる。

考えてみれば、今年は昼間の「歩き」が多かった。
夜の「お忍び歩き」は絶滅した。
やはり、年をとった証明の一年だったのだろう。

18日 木曜  まとまりない夢想

15℃の暖かな日。
自動車業界の派遣社員、期間従業員の首切りニュースが各社紙面に踊る。

どうやって「現状での説得」を同意を作り出すのか、と言うコンセプトが政府・経営・労働になく流れていく列島の年末空気になってきた。悪いが「自動車業界」だけで列島が生産力、DNPを作っている分けではない。
消費がGDPの60%。消費を伸ばすには?
サービス産業に従事する労働人口は?
考えなければならない課題は、素人が考えるだけでも、この2点だ。

公共事業での影響は、道路だけではなかろう。
例えば都市の景観、電信柱等の地中化で、電信インフラの普及と全国化ができる。機種の値段がどうのこうのではなく、一定の金額で全国何処でも使えれば、この分野での田舎移住も夢ではなく、人口の減少も図れる。

若者を数年、海外に派遣、帰国すれば「学ぶ場」の安い方法で解放する。色々と批判されるだろうが「米軍」は徴兵ではない。これはこれで面白い。不景気になれば自衛隊に入り勉強もできる、技術も学べると言う利点は、若者に受ける。批判はわかる。その前に税金をこれだけ使った組織をダメにすすのは「勿体無い」と思う。まずは現実的な討議を始めるべきだ。

麻生首相批判のトーンが落ちた。新聞紙上を賑わすような「批判」ならばないほうが良いと、思う。
自民、大御所の方々の睨みが効き始めたようだ。
この時期に「倒閣運動」でもなかろうと素人目にもわかる。
自民若手の二代目に見られる「我慢のなさ」と「地元での不人気」は日増しに増えているらしい。同じように民主党の「若手」もと言われているが、こちらは「ダンマリのセン戦術」に切り替え「TVなどへの露出」にも注意しているようだ、と世間の話だ。

アメリカの対日政策から始まった「列島システム」の構造改革。
適応していかなければならない。理論的な学説の戦いではない。アメーバーとしての対応力だろう。
ならば、列島内での適応できる部分とできない部分、不都合な関係を処理し、アメリカ発金融危機への「スピードある対応」と言う麻生内閣へ集中し、汗をかいてもらわねばならないだろうと世間の空気は感じている。


できれば、細細とした「政策」の発表ではなく、必ず担当官がどういう意図で作製しどうやって具体化し不安感を払拭しますと、語って欲しい。新聞に書いてある内容では、判りにくい。
もう一つ、21世紀の列島の「物語」を作る骨太政策が聞きたいものだ。かっての池だ内閣ではないが「給料倍額」などとわかり易い目標をあげて欲しい。

言い方は悪いが電話でのアンケート調査で、上がった、下がったでの政権批判は、言説を大事になさる方々のやるべき大切な仕事ではなかろうと、「知ったか振り」の分ではない。聞き及べば「企業凋落」の噂が流れ世間に定着している。これでは「紙面」を購入しても、「内容」購入ではない不思議な社会が始まっている。アメリカでは世界でも有名であった大手が倒産。日本では何処が一番目かと鵜の目鷹の目で酒場でのおしゃべりが続いている。

17日  水曜  「答え」にならない「屁理屈の」言い訳

友人の友人から前回の「歩く」事への問い合わせ記載があった。

このところ体調の按配が年末忘年会(望年会と記載する人もいる、この方がなんとなく時代に合っているような気がするが、皆さんはいかがでしょうか?)へ向けて耐力調整をしているもののどうやら「激しい」風邪ではないが、時たま鼻水が、クシャミと言うよりはゲホゲホとそして関節がだるいと言うか痛むと書き込んでいた。

この友人の友人は、お見舞いに来てくれた。嬉しいものだ。それでなくとも訪問客はいない中での記載はビッグなお土産だ。

偉そうに「歩く」ことが、如何に人様が「動物の中の王様」であるか、そして二本足が脳味噌との交換で、不幸せな腰痛を生み出しているかなどなどをふまえて、独言を書いてしまった。

どうやったら「意識せずに」暮らしの中に「歩くこと」の効用を組み立てるかだが、最初に断わっておくが「こたえ」はない。
「教育の効用」が喧しく言われても、教育なる硬いコトバの殻を被せている間は、どうしても教育とは権威を前提にしているが如くと同じように、人間も脳味噌との交換でえた二本足を蔑ろにしてきたからだ、と思っている。

極端に言えば人間と言う動物に近い暮らしを設計できるかどうかだろう。
身の回りに在る便利なモノで、一見すると「老人には」脚によさそうなモノは排除する。
エレベーター、エスカレータなどは使わないと言う事だろう。

友人の友人は <どうも地道というのが苦手なようです。 最近、歩いていませんね。時々やるんですが。続けようとは思うんですが、どうも続かない。 本当に怠惰な性格です。>と言う。

※そうではなくて余りにも真面目で 真剣に何事にも挑戦するタイプの方とお見受けする。猫を見ていると怠惰な暮らしを送っているが、余程のことがない限りバランスが取れた身体をしている。

<続けられる、何かコツのようなもの、ありませんか? >

※冷たいようだが、コツなどは無いと思っています。と書いてしまいば、せっかくお見舞いに来てくれた友人への感謝の気持ちを充分に伝えることの礼を欠いてしまう。
この方のホームページは
「昔遊び」と悪たれ小僧。  http://asobihodai.blog75.fc2.com/
実に細細と調べ彼の興味ある昭和の年代を、自分の体験の中から一般化できるものを真剣に書いておられる。頭の中で年表に頼っての「文字並べ作文」ではない。

様々なブログがあり、様々な言説が流れている。

機械音痴の私なども文章らしき、日記なるものを新しい時代の技術に助けられて綴ってはいる。数世紀後の人々は、如何なる反応を示すや否や、と考えただけでも冷や汗ものだが20~21世紀辺りにかけて「存在した生物の一種」としての「アリバイ」的になればとの下心もあって続けてはいる。

※そう言う意味では、友人のHP内容は日本列島に存在した確実な「遊び」の風景と哲学を資料として残されている。たいしたものだと、感心するばかりだ。

さて本題と離れてしまった。「歩く」ことだが、正直言って正解はない。二本足で暮らす「人間」と脳味噌内の人間が、一人一人が交信し、無意識の中で身体を動かす大切さを「思い起こすしか」ないのだろう。

猫は寝ているか、餌を探しているか、自分の縄張りの偵察とで生涯を終えるらしい。
人も、時間を分ければ、寝ると起きる。
問題は「起きている間」だ。
食べる。稼ぐ。この二つの中には「人間が考え出した」自由時間なるものもあるのだろう。
だが、基本は食べる、稼ぐだ。

たまには寝たままで食べる人も居ようが、基本は起きて、食べる。食べる場所までは歩く。
稼ぐ。自宅での方も、仕事場での方も居り千差万別の仕方があろう。だが、歩くのだ。

いやいや、そんな事は判っているといわれそうだ。
そうなのだ、生活の基本時間では処理できない「脚の弱り」についてなのだ。
この弱りだけを部分的に抜き出しての補完作業はダメだと思っている。

例えば、仕事場で昼食を取る時も、数箇所の栄養補給の場所を探すが如く、この場所に「距離」と言う考えをプラスすると「歩く」になる。プロのサラリーマンなら定年まで頑張る為に誰もがやっていることだ。

地域の商店街のオヤジ殿の顔色がよい方は、店に張り付く時間が長ければ長いほど足が弱る。小さな店舗内で細細とした作業で意識的に身体を動かしている。椅子に座っても筋肉の筋を伸ばす簡単な動きをみせる。

質問の先が見えなくなった。誰もが悩んでいるが、起きている時間の中で作業をする中に「運動」を組み入れている。どうやら列島農耕民族の知恵の流れだと思う。農作業はキツイ。だからこそ農閑期には「お風呂」だろう。温泉宿などもこうして続いてきた。旅行や観光での「温泉場誕生」はつい最近だ。

今回は、友人を満足させる、してもらえる「答え」には到らなかった。
運動の習慣化という誰もが悩んではいるものの「答え」がない二本足の暮らしだ、ともう。
これからも考えていってみようとして答えにさせていただく。

16日 火曜  やっていることは左程の違いか?

寒さがちょっと変化した。ピリリとする時期に入った。
人がやっていることは、さほどの違いがなく一年は動く。
去年は14日金曜日が仕事場の最終打ち合わせで大いに飲んだ。(今年は中止?)
そのお陰で15日はダウン。今年は真面目に図書館へ。(飲み機会がなかったので、やることもなく時間つぶしに図書館へと思う)。

そして今日は冬空の寒寒とした晴天。
時間つぶしにと「木蓮の落ち葉」拾いと動く。
2袋集める。
去年手帳をひろげてみれば「18日に落ち葉拾い、2袋」とある。
頭はボケても、年間をとうしての身体の季節に反応する能力は、さほどは変わらないと証明された。

この時期から年末にかけて防衛庁の高級官僚接待問題、C型肝炎問題、内閣改造問題、韓国大統領選挙問題、などのメモがある。
そして現在の金融危機につながる「サブプライム問題でのシティ、モルガン・スタンレー、メリル・リンチなどがアラブ、中国、シンガポールなどからの融資活動を活発化していたことが記載されている。

其々の「コトガラ」は其々が「時間」をかけて「織り込まれて」来た。
「意図をほごす」には、その時間分だけの手間隙がかかる。
ようやく「アメリカ発の金融危機」の姿が見え始めた。こうなるまでの経過を知れば、解決され「新たな時間」がやってくるには、相当なシンドイ暮らしが待っているのだろうか。

03年12月から始まった「イラク」との関わりも「15日」で空自活動が終了、5年間のややこしい話も終わったのだろうか?迷台詞も数々残した自衛隊派遣の国会討議だった。

今や連日新聞を賑わす「派遣社員問題」では、日雇い派遣で問題になった「グッドウエルグループ」の折口 46歳の周辺に査察が入り、膨大な資産状況の全貌が明るみになったと、記載されている。

そう言えば「杉本女史」なる美人の健康エステに現役の神奈川県警・吉田警視が関与していたのが発覚、山梨にある「霊感商法」との関係が浮上した、とある。全国に11のサロンを開催し、儲けていたようだ。

年末にかけてじっくりと昨年の手帳メモと今年の関係をみていこう。
自分で書きとめたメモこそが、自分作成の歴史だな、と思うからだが。

15日 月曜日  歩くとは?

自分が住む地域でで歩いて行ける範囲、言わば散歩だが、できるだけ意識的に広い範囲をあるくべく習慣化させることが大切だと、今年は思った。
散歩で足腰が弱くなるのを少しでも延長したと思える「人々」と出会う機会が多くなった。自分がそう言う立場になったのだな、と思わざるをえない。

散歩、少しでも足腰の弱くなるのを延長する作戦なのだろう。
そうだろうか?
その程度の「散歩」なる歩きで、足腰の弱体を引き伸ばせるほど身体は順応するものだろうか?

健康関係の書籍が、活字離れの時節柄にもかかわらずよく売れていると言う。書店の店頭での「ただ読み」読者ではある。投資したことはない。新聞などの広告では、実によく読ませてもらっている、当然見出しだけだが。推測、推理するのが頭の訓練になると「買わずに」いる理由にはしているが。

色々な学説は有りそうだが、特に興味はない。歩くことが人間稼業では大切とはわかる。四足から二本足に切り替わった時から「悩み」を抱えたのだと、言う医師もいる。

30分や1時間等の散歩で「何の役に立つのか」などと揶揄した時もある。
自分で判るのは、とにかく脚を使わなくなった事だ。
生活をよく見れば、例えばパソコンで作業をすれば、とにかく座りっぱなしだ。その為に「あるくと言うか散歩」が役に立つがごとき「幻想」が滲み出す。
その程度で、人間さまの脚が回復するなどと、甘辛い考えは御捨てなさいと、身体が言っているのがわかる。

簡単な運動でも、激しい運動でも、これ以上は身体が動きませんよ、と言うギリギリまできた時に初めて無意識に肉体が動き、自分でも理解できないような「面白さ」が現れて、後から、成る程なという意識が着いて来るような「時間差」を感じた事は、誰でも在るだろう。鉄棒での逆上がりなどは、当初は理屈ではわかっても、身体がついては行かない。何回もやる。意識がもうだめだな、と諦めに近づき筋肉もすでに限界に来た時の「無意識の空間」で、おやっと思うほど簡単にできた喜びは、誰もが体験しているはずだ。

身体を動かすと言う命令が、脳味噌の中に届く前に、無意識なある部分が筋肉に伝える。あれあれと言う意識しない筋肉が見事な表現をしてくれる。
後から成る程な、と言う意識付けが、脳味噌への納得となって伝わるのだろう。

こう云う事が重なると、あるいは無意識に慣習化すると、日常生活の中でのパニック時点で、判断を速要求されるビジネスの場面で、<直感が冴える>と言う表現に当てはまるのだろう。

直観力がすげれている人とは、こう言う人なのだろう、と思う。

話の流れが判り難くなったが、歩くと言う人間にとっての基礎が如何に大切かと言う事だ。

江戸に暮らした人々は、小説などでしか判らないが、よく歩いたようだ。
海舟などは、勉強のためによく歩いた。
当然に、剣道道場などでの、訓練は足腰の強化になったのだろう。

精神的な「言いがかり」ではなく、若い時にある訓練や歩く事に時間を使った人は、年をとってもなんだか「しゃっき」としているのでは、と思うのは危険だろうか。
だから「若い人」の訓練が必要だ、などとは思わない。

自分の「今の身体」が在るのは、田舎暮らしでの歩きや剣道の稽古の真似などからではないだろうか、とは思っている。一般化するつもりはない。
脳味噌も、優秀かどうか、などの社会的な比較ではなく、自分の事や、身近な人との関係をスムーズにできるかどうかが問われる時に、違和感を持たずできる範囲が合えば、良しとするのが人間の保守主義ではないだろうか。

合理的に、しかも理屈で納得する理論先行の市民主義の社会は、ぎすぎすした嫌な感じの社会だと、思う気持ちが強くなっている。

こんな感覚を、今年は多く持った時間でもある。やはり年を一年分だけとったのだろうか?

14日  日曜  人を知るのは「縁」だ

気が付けばやけに外が静かだ。
今日は日曜日、年末への動きで様々な音が聞こえるはずだ、と思っている古い私し。
世の中は妙に萎縮している。
では、風邪らしき症状を追い払うが如くそろそろと歩くかと思いつく。
外を眺めてしみじみと我が耳の衰えを知るのみ。
寒空に細い糸を垂らすが如くの「江戸品川宿の風景画」を思い出す。

漱石「坊ちゃん」を捲る。
坊ちゃんは、何に義憤を感じヤマアラシと行動をともにしたかは、年を重ねて読むごとに違う。

世間の今年は、<変>が漢字で選ばれた。
成る程な、と言う思いと同時に、何か物足らないなと言う感じもした。
なんだろうか、と言う気持ちが続く。

ある論理を正しいと思い、長年の研究を積み上げて作り出す人間の知識が「金融社会」の<手法>を作り出し、ある意味では、社会のエネルギーでもあるが、理論が現実に不適用し始めると様々な毒素を噴出してくる。

毒素への免疫が産まれて新たな生命が育つまでは、大勢の死者を、多数の企業を倒産への荒れた時間を人類は耐えなければならないのだろうか?

今年は、残念ながら「積み重ねた理論家でもあり実務者でもあった方」が<100年にあるかないかの状況>と語った。
そして処理に追われた一年だった。

「崇高な理論」などには無関係と生きてきた世間も徐々に「痛み」の共有を迫られている。
何故に、共有なんだと騒いでも、徐々に実感が迫られる。
胡麻のような人間に襲い掛かる「痛み」。擂鉢の中でゴリゴリとつぶされる世間の人々。
形は変わっても、内容を落とさずに生きる世間の人々。
崇高な世間の知恵を感じた年でもある。

著者には断わってはいないが、世間の中で歌われる唄の意味を再認識させてくれた「遠藤氏」の死去が、今年の「漢字」になって欲しいと引用した。私の今年の字は「縁」である。
引用。
<真の努力家遠藤実の生涯
        渡部亮次郎

歌謡界から初めて文化功労者に選出された(2003年)「北国の春」の作曲
家遠藤実(えんどう みのる)氏が急性心筋梗塞のため2008年12月6日10
時54分、東京都内の病院で逝去。まだ76歳だった。戦後歌謡界を代表す
る日本の作曲家だったが、作曲は独学だった。

門外漢ながら演歌の作詞は何とかなるかもしれないが、作曲となると、
皆目想像がつかない。古賀政男にしろ遠藤実にしろ市川昭介にしろ、独
学で作曲をモノするとは想像を絶する。頭にメロディーは浮かんでもそ
れを五線紙に落とすに際し、原則や約束事をどうやって「独学」したの
か、とにかく尊敬してしまう。


昭和7(1932)年7月6日東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区向島)
に生まれたが、大東亜戦争時に父母の郷里、新潟県西蒲原郡内野町(現
在の新潟市西区内野)で極貧の疎開生活を送っていた。

1949{昭和24)年、17歳の時上京。ギターを携えて流しの演歌師になり三
鷹や荻窪を流していた。産経新聞(2008・12・7)の「産経抄」によれば、そ
の頃、産経新聞社主催のノド自慢に落ちた。

「流し」の頃、ハラが減ると食堂で秋刀魚の開きと味噌汁だけの定食を
食べた。そんな時、注文もしないカツ丼を黙って出してくれる3つ年上の
店の女性がいた。後の節子夫人である。夫人は既に先立った。

新潟の疎開先で貧乏だったため行けなかった高校への憧れをメロディー
にしたのが、舟木一夫の「高校三年生」や「修学旅行」「学園広場」だっ
た。
流し(ながし):街頭や酒場などを流して歩く芸およびその芸人。古く
は新内節の〈新内流し〉が有名で,19世紀初めころ(文化年間)から始まっ
た。2人一組の二挺三味線で,太夫が本手を弾き,上調子(高音(たかね))
がこれに派手な手をあしらう。街頭を流し,一節を路上で語る〈軒(のき)
づけ〉と,呼ばれて座敷へ上がり一段を語るものとがあった。

流しの芸には,ほかに浪花節,民謡などもあり,明治維新後の演歌師な
どもそれに準ずる。第2次大戦後はギターの流しも流行したが,カラオケ
が流行するようになって下火となった。世界大百科事典(C)株式会社日立
システムアンドサービス


1956年、日本マーキュリーレコードから、『お月さん今晩わ』で作曲家
としてデビュー。

また自らの名をつけたレコード会社・ミノルフォン(現:徳間ジャパン
コミュニケーションズ)を創業し、1960年には専務、1968年には同社社
長になる。会社は倒産。それを歌にしたのが小林旭の歌った「ついて来
るかい」だ。

生涯に送り出した楽曲(一部は作詞も)は5000曲以上(その大部分は演
歌)と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。

1988年、ハワイで心臓のバイパス手術を受ける。

1979年、日本演歌大賞を受賞。

1990年、紫綬褒章を受章。

1994年、日本大衆音楽文化協会会長に就任。

1995年、日本音楽著作権協会会長に就任。

2002年、勲三等旭日中緩章を受章。

2003年、文化功労者として顕彰される。

2005年、日本作曲家協会会長に就任。


[編集] 主な作品

お月さん今晩わ(藤島桓夫、1957年4月)
からたち日記(島倉千代子、1958年11月)
浅草姉妹(こまどり姉妹、1959年11月)
アキラのズンドコ節(小林旭、1960年)

ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹、1961年5月)
おひまなら来てね(五月みどり、1961年5月)
襟裳岬(島倉千代子、1961年6月)

若いふたり(北原謙二、1962年8月)
高校三年生(舟木一夫、1963年7月)
詩を受け取って2階に上がる途中で完成したとの伝説がある。
ギター仁義(北島三郎、1963年8月)

修学旅行(舟木一夫、1963年9月)
哀愁出船(美空ひばり、1963年)
仲間たち(舟木一夫、1963年12月)

君たちがいて僕がいた(舟木一夫、1964年5月)
青春の城下町(梶光夫、1964年)
星影のワルツ(千昌夫、1966年3月)
こまっちゃうナ(山本リンダ、1966年11月)

新宿そだち(大木英夫・津山洋子、1967年10月)
ついてくるかい(小林旭、1971年4月)
純子(小林旭、1971年10月)

せんせい(森昌子、1972年7月)
中学三年生(森昌子、1973年2月)
くちなしの花(渡哲也、1973年8月)

白樺日記(森昌子、1973年8月)
おかあさん(森昌子、1974年8月)
すきま風(杉良太郎、1976年10月)

北国の春(千昌夫、1977年4月)

ひとり(渡哲也、1977年4月)
江戸の黒豹(『新五捕物帳』主題歌、1977年)
夢追い酒(渥美二郎、1978年) 1979年の年間第1位
みちづれ(牧村三枝子、1978年10月)

大東京音頭(三波春夫/三橋美智也・藤野とし恵 ほかによる競作、1979
年)
君は人のために死ねるか(『大捜査線』主題歌 1980年)
南風(小柳ルミ子、1981年)
冬支度(牧村三枝子、1984年)
雪椿(小林幸子、1987年6月)

門下生
橋幸夫(当初は実の門下生で、実の推薦で吉田正の下へ移った)
舟木一夫
千昌夫
小林旭
森昌子
島倉千代子
山本リンダ
渡哲也
五月みどり
杉良太郎
いではく(作詞家)
一節太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2008・12・10

13日 土曜  猫と自動車

昨日も外出しても「風邪なんぞは平気の平左さ」とばかり今日も出かけた。
午前中に仕事場の仕事は何とか遣り繰りし、夕方近くの昼間の時間に歩いてみた。

なるべく以前歩いたときに見かけた猫村を中心に歩いてみた。
と言うのは、ある将棋の方が(新聞やTVで名前を言っていたが将棋には無関心な無知なわたしなので申し訳ないが名前を失念した)、猫に餌をやっていたために周辺の住民から訴えられ「?」金額の訴訟にもつれこんでいるからだ。

東京の?区では条例で餌やりを「犯罪」であるかのごとく決めたとこもある。
「市民社会」という観念は恐ろしい。
私たちは、世間と言う空間を大事にしてきた記憶がある。
でも、市民社会で否定されると言う事は、もはや世間と言う記憶も消さなければならない時代を迎えてしまったのだろうか?

互いが「自分の無知や至らなさ」を世間と言う知恵で補完しあいながら生きてきた列島の暮らし。
世も進み知識の量も情報も格段の進化をしたのだろう、と思う。

その分だけ「脳内の知識、情報」が増えたのだろう。
だが、その分だけ世間の知恵は薄められ、疎んじられ、合理的であることが真理と語る市民社会から攻撃された。

例が適切かどうかは(読む方に任せるが)、アメリカの法律内での合理主義と功利主義が綻んだのが今回のビッグ3の救済論争だと思う。
アメリカの創業時フォードの考えとシステム作りは魅力的だと思っていたし、それなりの関心を持続してきた。
破産寸前まで「世間」を誤魔化し、経営陣の高額な給料、そして其れをそらす為にか「労働者」の時間給も「組合」参加で、組合に参加していない「労働者」との差の大きさと各種福祉の充実で乗り切ってきた。(組合だと77ドル台で組合で44ドルレベルと言われる、健康保険などは会社を辞めても本人はもとより家族まで優遇されている)
これでは、アメリカ国民でなくても「税金」での救済には首を傾げざるを得ない。

日本でもルノーに「乗っ取られたかのような日産」でも起きているらしい。(月刊誌 現代 09年1月号、ゴーン「植民地・日産」の次の獲物より引用)
< ※ 日産取締り役員 07年 10人 取り締まり役員報酬総額 22億3100万円(一人あたり2億23   10万円)  3年連続2億円を越す。
   09年3月期 値上げし29億9000万円。
   ゴーン氏は「総額の6割以上を得ていると業界では見ている」ので、これで計算すると、07年次   では年収15億円超、09年次では18億円超となる。
※ちなみに08年3月期 トヨタ 29人の役員  総額35億3800万円  一人あたり1億2200万円
※ホンダ  役員23人  総額8億1700万円  一人あたり3552万円

ゴーン氏は「国内で比較すれば高いかもしれないが、欧米企業のトップ平均レベル」と語っている。>

議院でのアメリカビッグ3の経営陣と同じような「発想と意見」だと思う。製造現場での経営者の考え方は傷を広げ、他に迷惑を掛け初めてから慌てて取り繕うとする。
欧州ルノーも業績悪化の一途、日産も資産は売却され残っていないと言う。
仏蘭西の「植民地」として国民車の名前も消え去り、資産も食いつぶされ、ゴーンは欧州での経営陣・会長に抜擢された。
さてさて「日産」はナショナルに、もどれるのだろうか?

それにしても、臨時工や派遣社員、パート、アルバイトなどの首切りを「清ました顔」で取り組む「経営陣」とはどういう人種なのだろうか?

松下は名前を「あちら風に」に直した。幸之助氏の創業精神まで「あちら風に」英訳してから日本語に直すのではないだろうな、とは思うが?
ソニーも創業者からの立ち位置が移動して変化をしているが大丈夫なのだろうか?余計な事だが。
ホンダには頑張ってもらいたい。興味尽きない企業だ。F1からの撤退、どうなっているのだろうか?

猫から自動車へと何やら変転したが、人々がお互いに生き付き合う「地元」での暮らしや「ナショナル」を忘れた<世界性>などの「脆さ」が如何に私たちの暮らしをダメにしているかの「教科書」が目の前に転がっている。

そう言う意味では「老舗」と言う<生命体>はスゴイ。
来年は<老舗>の事をしっかりと学んでいこう、と今日は考えた。

12日 金曜日  友人の助言を破る

12月の記憶に残す「日々」はなにやら多いことに気が付いた。
大きい事では、敗戦の切っ掛けを作った真珠湾攻撃。天皇誕生日。
小さいがとても大切なのは、「3億円強奪府中事件」。
他にも色々と在るだろうが、記憶が判然としない。年末に向かい思い出したら記載してみようと思う。

友人から「風邪」での細かなアドバイスがあった。
どうやら私は一般的に云う風邪とインフルエンザをごちゃ混ぜに理解していたようだ。
文面を引用すると 「運動(特に外出)と、風呂、シャワーの類いは御法度らしいです。即効性はないかもしれませんが、ショウガをすり下ろして蜂蜜か、なければ砂糖、それをお湯で割る。(葛根湯みたいなものです)それを、朝晩飲むと身体が温まっていいのだそうです。」と言う。

いやはや逆のことばかりをやっているようだ。
昨日は終日自宅にて作業といっても、トイレットペーパーに交換すべく新聞の溜まりに溜まった固まりを切り抜いていた。
実に外出もせず、身体を温めるものといえば「ウヰスキーのお湯割り」をちょびちょびと昼間から飲み飲み、紙と格闘した。右手に持つ大きな鋏で、これはお袋が使っていた、昔の家庭では何処にもあった貴重な「裁ちバサミ」なのだが、普段は使わないからか、右手が痺れてしまった、情けなさよ、と嘆きながら母親を思い出す。

昔の事とて「写真」なるものは 残存しない。
其れよりも、母親が使っていた「道具」を使う事で、薄ぼんやりとした思い出のフイルムの中から実像が生き生きと動き出す。
私が「生きている」からこそ「母の実像」が目の前に、生き生きと動き出すのだろう。
脳味噌の中の母親ではなく、生活の中で同じ空気を吸っている「怒ったり、泣いたり、笑ったり、、、、」した時の母親の顔と動きだ。

その時に使っていた大切な「道具」。裁ちバサミで、私のために作ってくれた洋服などはすでにない。だが、裁ちバサミを新聞きりに使うと、不思議に小学時代に着た服を思い出す。立派な半ズボンの上下だった。この服でサクラの下をくぐり6年間の初めを始めた。

風邪の話からしんみりとした話しになってしまった。
大阪で母御と悪戦苦闘している友人へ。
私はすでに亡い母親を思い出すときは、母親が使っていた大切な我が家の中心にあった「裁ちバサミ」なのだ。
こんな道具が一つあれば母親との「共同体」の息使いが甦るのだ。
脳学者が語る「脳内での共同体」ではないのだよ、と偉そうに語りたい。

友人の友人が親切に教えてくれた「風邪とインフルエンザ」の鉄則を忘れたかのように外出してしまった。許されよ。

11日  木曜日 新聞切抜きは「便所紙」との交換へ

今年の様々な事件や反省などが囁かれる時期になった。
何とか此処までは無事に大病もなく過ごせたとほっとしている。

アメリカ発の金融危機から始まる「不安感」の増徴で、何だか「全てはパ~よ」と言う昔のギャグを思い出した。
悪い事ばかりでなく、良い事も色々有り、個人や世間の収支バランスは取られるものだと、思っていた。

気がせく年末に向かい、「黒字企業」での慌ただしい収支赤字への数字の魔術。
日本も、マメリカも昨年の辺りで、すでに数字的には「景気後退」を知ってはいたが、発表は今年の「激動」の最中だ。

判らなかったと言えば「済む」とでも思っているのだろうか?
とりわけアメリカでは「高額の給料やボーナス」あるいは「出来高高給」を貰ってからの事件の発生と政府のカネ(国民のカネ)を使っての処理と要領よく動く指導者の面々、其れも投資銀行を政府管理にし仲間内を援助する有り様、オバマブームだが、新人事メンバーを眺めれば、其々の利益集団での人脈、学窓での人脈、イデオロギーでの人脈は、「クリントン政権」での流れに行き着くだろう、と思われている。

列島の連日の「首切り」の話し。
戦前ならば「青年将校の決起」もあるんだろうな、と言う悲惨な空気が流れる中で、「公務員平均ボーナス九十数万円」と言う。
真っ当な正論を吐く「政治家」の中でボーナス返上の怪気炎などは、昔の話だろう、金融関係のボーナスも、しっかりと支給されたらしい。

世間の年間の収支バランスは、揺れ動きながらも年末には「落ち着く」と言うのが、社会の安定となって「正月のお屠蘇もお餅も」食べられると言う列島の素晴らしい元旦であった。

「一杯の蕎麦」という物悲しい「話し」は、列島自由民の最後の一線でも在っただろうと、思っている。(話しがウソとか作り話しとかのことではなく庶民の希望のギリギリの裏返しだ)。

さてさて「今年はどんな物語」が年末に向かって庶民の涙を誘うのだろうか?
社会現象としての「弱者」による「無差別的な「犯罪」だけは、起きて欲しくはない。
弱者が弱者をターゲットにしての「劇場型」犯罪は、列島内での「豊かさ」を破壊していく事になると、と思っている。

今日は、身体を休める為に「外出」を取りやめ、朝から溜まった新聞切り抜きに熱中していたら、嫌な感じの記事に出会ってしまった。人の記憶ほど当てにならないものはない。
この切り抜きも慌ただしくなった年末に、トイレットペーパーとの交換作業なのだ。

お陰で世間の動きの勉強になった。

10日  水曜  風邪が流行か?

一晩眠れば気分もからりとはならず、嫌な予感がする。
友だちの友だちは「友だち」だではないが、最初の友人がなかなか大変な年回りで苦戦をしており、わがHPへの訪問もこのところ間が開いている。其れを埋めてくれるかのように「友だちの友だち」が昨日の「風邪を引いたかな」と言う日記にきずき訪ねてくれた。

いやはや有り難いものだ。感謝です。
それにしても、当初の友人の「孤軍奮闘」の時間は大変な様子だ。

訪問者の彼のHPはとても参考になるし、何よりも面白い。紹介しておこう。
「昔遊び」と悪たれ小僧。  http://asobihodai.blog75.fc2.com/

彼の話しでは関西ではインフルエンザは先月から猛威を振るっており大変だと言う。彼は頑強らしく近年は風邪を引かないと言う。ただし「うがい」は守っていると言う。偉いな~と思う。

昨日は、図書館で目の前のご老人がゴホゴホされており、困ったなとは思いながらついつい読んでいる本に熱中して、頭では「うがい」という三文字は浮かばなかった。
まして余りの寒さに自宅へもどるや否や「ホットウヰスキー」をチビチビではなくごくごくと「風邪の菌」を消毒するかのように飲み込んだのだ。

ニュースなどでは埼玉県、千葉県での猛威が始まったようだ。
色々な「菌の種類」が縄張り争いに乗り込んだ。A型、B型香港、A型ソ連とどれもまだまだ主流派には到らないとはいうものの、私らからすれば「対応」するポイントが(どんな薬、注射などが?だ)絞れないのも不安だ。ましてや何年前か思い出せないが、風邪と思い病院へ、そしてそこで「悪性の菌」にやられてしまった。それ以来、市販の薬、たっぷりと食べる事、お風呂に入り汗を出す、更にホッカイロを臍の辺りと裏側において汗がでるまで布団に包まる、等で凌いできた。

今回も、この手で乗り切ろうと、決意する。(こんな決意とは思わないで下さい、気分から負けないように自分なりの「呪い」をしている頑固ジジイと思われたし)。

身体を動かす事も大切と、ズボン下を今季初採用で下半身を武装。上は下着二枚と厚めのスポーツシャツ、首には然りとマフラー、コートは風も雨も塞ぐ山用のモノを使い、完全武装で散歩に。
季節がら寒いと言う感覚だが、今日は関東は18℃も。
気温が高くなると歩きたくなる動物的な反応が、残っているうちは「若いな」と自分で誉める。
4時ごろから遊歩道へ脚を踏み込む。其れこそ都会の秋が。遊歩道と言っても河川の上に蓋をした歩ける道だ。両側には植木が。銀杏は黄色い道を、紅葉は赤い流れを。

気分よくなり自宅にもどったのが7時ごろ。よく歩いた。やはり風邪か、これだけ歩いても汗がでない。すぐにシャワー。
鶏の脚の部分をよく煮込み、ジャガイモとタマネギ、そしてニンジン、ピーマン、更にキャベツなどを加えたスープ。
納豆と熱々のご飯。
ウヰスキーのお湯割りを一杯のみ。
すぐ布団へ。

9日  火曜  困った

寒いが昨日よりは小雨で暖かい。
どうやら風邪気味に。
昨日の図書館で狭い空間にいた方が、咳をされており、困ったなとは思ってはいた。
帰宅までのあまりの寒さに「ウヰスキーお湯割り」に熱中し、ウガイなしでゴクゴクと飲んだ。
どうやらこの不注意からだ、私の責任だろう。
年末をむかいて困った事だ。

布団は引かないもののちゅら君とごろごろしていた。
本当に困った事だ。

8日 月曜  痩せ我慢こそが良い顔をつくる?

寒い朝。今にも降ってきそうな空の顔色。
ウインナ-入りの小さなドッグを5個作り、昼用に3つもつ。
歩いて図書館へ。
寒いにも関わらず図書館内は寒い。コート着たまま雑読。どうしてかと思うと「悪いが」寝ている方が多い。そうか図書館側が気を使い「起きていられるように」温度を上げないのかな、省エネで頑張っているのかな、と皮肉になる。

確かにイビキが聞こえる。気にはなる。苦情も来るのだろう。その対策だとは思う。
それにしても、嫌な雰囲気での注意の仕方が多い。世間での首切りで行く場所がない。雑誌など無料で読めて、長時間滞在できる場所では、良いとこだと思う。
私がそう言う境遇になれば、やはり此処ら辺りに逃げるだろう。すでに「逃げ込んで」いるようなものだが。
暖かにすると「臭い」がわかってしまう。ここら辺りをなんとかすれば、少しは苦情も減るとは思うが、如何なものでしょうか、「逃げ込む住人の皆様」。公共の施設を使う時の「最低限の注意」を守っていれば、こんなに快適な場所はないのだから、追い出されない注意を、市民者の嫌味と倫理に逆らわないように当面はするしかないだろうよ、と云いたい。

「弱者の生き方――日本再生の希望を語る」 五木寛之と大塚初重の対談を読む。
大塚氏は輸送船で二度の撃沈を生き延びる。五木氏は敗戦でのソ連軍管理地ピョンヤンから帰国する。歴史は過酷と言われる。だが、お二方も自由な精神で「苦労」を感じさせない気分で生き様を語ってくれている。
五木氏終戦ドサクサの「残酷性、ひと皮むけばこう言う面が、、、これを描のが文学とは思っていない、其れぐらいのことで人間の真実を発見したかのごとく驚くのは、よほどのお坊ちゃん、お嬢ちゃんじゃないかな」と、強烈な体験をしていても語る気迫はすごいと(以前も何かの氏の著書では読んではいたが)再び感じた。
輸送船撃沈で、600人中130人の生存。そして上海での捕虜生活。捕虜生活では演劇劇団のボスに教えてもらい演芸では万歳をやった。芸名は「上海ガーデンブリッジ」、戦後すぐ熱海で傷病復員兵の前でも演じている。当時のお金で25円、「体験に無駄はない」と語る。夜間の大学で学び「考古学」の戦後の基礎を作った。
両氏の話しを幾等でも私なりの解釈を加えて書くよりも、興味ある方は是非お読み下さい。私は危機の空気が攪拌される中での「体験」などは、余りにも小さいものだと教えられた。

図書館も寒く、外へでれば更に寒い。
暖かなモノが欲しくなる。財布は空っぽ。自宅まで我慢の気分を、両氏の引き上げ苦労に重ねて我慢する。
考えるに「我慢する」と言う「痩せ我慢の思考」が足らない顔に私もなっているのだろう。
ウヰスキーのお湯割りを急いで作る。
ホットした気分で終わる。

7日 日曜日 列島の「内戦」で儲けるのは誰か?

確かに天気予報があたる。
カラッとした空気で身体の芯までが痺れそうな感覚だ。北国の本物にはまだまだだが。
こんな時は「北国の春」を歌うと気持ちも一足早く暖かくなるから不思議な曲だ。流石は遠藤実氏の歌だ。
庶民とともに生きる厳しい姿勢が「音楽」になる。
昭和の30年代は氏の歌で溢れている。不思議な人だった。自分が全面には出ず、歌手の雰囲気と姿に、そして声に合う時代の曲を作っていた。
歴史を創造するとはこう言うことだと、思う。

T型フォード。アメリカの近代に入り込み、自前の歴史を、誇りを作り出した車文化。
今や「ビッグ3」は金融危機の流れの中で「アメリカの汚点」になろうとしている。
歴史的に役割を終えたとしても、「アメリカの文化」までを流してしまう過ちはしないだろう、とは思う。

わが国の自動車産業も、誇れる戦後の自動車文化を創った。
創業者の悪戦苦闘の話しを聞きながら、読みながら文化を豊かにするという時間のかかる作業を頼もしく思っていた。
残念ながらホンダはF1から撤退すると言う。これも色々と語れるだろうが、F1での文化は列島に定着させる時間が必要だ。そうすれば、再び環境が変われば復帰できる。

小泉氏政権を支えた理論家達が「金融」の大切を語る。
確かにそうだとは思う。モノ作りとの比較はする必要はないだろう。モノ作りと言え世界各国に工場を移動している。
問題は「モノ作りの基礎であるもの作り」の技術を捨てない事だろう。
研削盤一つで作り出される宇宙ロケットや自動車の部品作りの機械の技術に豊かな日本文化の何かを感じる。こう言う場所に日があたる環境を作るべきだろう。

金融工学との比較は不必要だ。問題が違う。
金融工学で必要なのか「教育環境」だろう。その中で明治から今日までの産業界に大きな影響を与えつづけた渋沢氏が語った算盤と論語を現代に適応させられる「頭脳」を作ることだと、思う。

どうやらアメリカでは「フォード氏の知恵」をどこかで忘れ「算盤」だけでの結果が、今日に到ったと思える。
「日産」は仏蘭西人の力を使う。
明治維新でフランス人は幕府側。
イギリスは反幕府へ接近した。
勝海舟は、国際的な諸関係の中から「内戦」で外国に儲けられないように、知恵を絞った。

今回のアメリカ発の金融危機で、列島内部での「内戦」は、避けなければならない。
内戦で儲けるのは、いつも列島以外の外国だからだ。

6日 土曜    北国の春は?

早いものだ。暦は多少の日数を残すが、私の暦ではすでに仕事は今日から終了だ。
残部整理と来春の予定作りなどの細かな仕事は残るが、大筋では終了。
早く感じるのか、それとも遅く感じるのかは、色々と解釈は自由だ。

例年よりは少し早い仕事終了の流れではある。
仕事先の住人が「海外研修」に出かける予定があり、講師会などのお楽しみは、今年は流れた。
噂が出る。やはり「此処も危ないのだろうか」と言うのが一番多い。

年末恒例の研修会といえど、その後の飲み会は普段接触しない人との会話が楽しい。
これがなくなったというのは残念だ。
こう言う「つまらぬ」と思える行事こそが、集団の命をつなげるものだと、私は思っている。

致し方ない。自分で一年間頑張った「私への」飲み会を開こう。

有名な方が亡くなられた。
加藤 周一  。名前と著作は何冊か目をとうす程度の読者だった。さて、年末の論壇は、誰が、どういうコトガラを記載するだろうか?

本当に身体に染みた音とコトバを楽しませてもらった遠藤 実 76歳 、死去。
戦後の流れの中で氏の歌だとは知らなくても、口ずさむ事は多かった。
気が付けば遠藤 実の歌だった。
其れぐらい身近な暮らしを音楽のコトバで表現した方だった。

明日から本格的な寒さが来ると言う。
きっと北国の春を歌うだろう。

5日 金曜日  仕事は?

身過ぎ世過ぎで「教育現場」らしきとこで十数年を過ごしている。
今日で、今年も終了する。

長い冬休みが待っている。
だが、稼ぎは待ってはくれない。

少子化で学生さんの数も減り募集もままならない、と言うのが教育関連での悩みだろう。
自然現象なのだから、どうしようもない。

では、じっと我慢し「経営実態」を小さくすれば良いかといえば、そうでもない。
いまの学生さんが求める「情報量」に見合うシステムと内容を発信できる人材が悪くなるからだ。

ならば、どうするか。
私は経営陣でもなければ経営への発言も持ってはいない。
ただひたすら現場で学生さんを相手に「苦労」しているだけの身分だ。
だが、接触する学生さんの「質」については敏感に反応し、「ひとかたり」出来る立場にはいる、と自負はしている。

この自負に自信を持って語るならば、「学生」さんの内容は、「よくなっている」とは自信を持っては言いがたい。

教育の改変が語られて時間が経つ。
学習内容の理解低下が多くの方々が言う。
そうだろうな、と思える「コトガラ」が私の現場でもわかる。

小学から中学の義務教育、そして向学心あると言うか見栄でか、自由に教育への環境条件があれば高校や更には上に進む事ができるようになっている。

世間ではすでに「高校」までは「義務教育」と考え、せめてもその上にまでは、進ませたいと願望する親御さんは多い。

「中学」で終了し暮らしを始める人もいる。
高校進学は、今や100%に限りなく近いという。

だからこそ親御さんは「上への」希望を託す。
産業的には二次産業の発想での「対応する能力」作りのままで、現実の変化に合わない。
私などの現場は、「高校」教育を終えた学生さんが、次への職業上での優位を確保する為に「来る」場所だろう。

一概には言えないだろう、とは思う。
「学力」と言うか、「高校」までに学んできた内容の理解度が、一定しない「学生さん」が増えている事だ。
此処までは、私などの「責任」ではないだろう。
だが、この一定しないベースに基づいて「次への」内容を接木しなければならない私たちには怖い事が多い。

樹木も接木はできる。
果たして「人間」と言う存在には接木は可能なのだろうか?

そういっても、現場では毎日が「格闘技」みたいな「行事」が執り行われている。
学生さんはどう戦っているのか、は私には判らない。
判るのは、とにかく「学ぶ」ということを、音楽を聞き流すと言うスタイルで送っている事だ。

私は「古い人間」だと思う。
「学ぶ」とは、どこかで一度自分を「作り直す」作業につながっている事だと思っている。

世間にでればつくり直すなどの時間はなく、対応していく緊張である人生のほとんどを消化してしまう。
「学生さん」である時の貴重な時間を「送る」あるいは「消費」してしまうには、「勿体無い」時間ではないか等と思う古い人間なのだ。

すでに今年の仕事場の時間は残り少なくなっている。
年々、年齢を重ねながら、この「勿体無い」という気持ちは、モノだけではなく、将来の日本のエネルギーになっていく「若者」たちに付いても、思いは同じだ。

やれやれ、今年も若者たちのエネルギーが消費されていった。

4日  木曜日  神社へ

寒い。
そうは言っても昨日は17℃、今日は15℃という。
例年に比べれば暖かいのだろう。
雪の便りを落ち着いて見たり、調べたりの余裕がない。
金融関係には、直に関係していなくとも「何気ない」不安の空気が、私にも影響しているのだろうか?


ちゅら君は私のお腹に乗っての昼寝を要求する。
私も昼寝の惰眠を楽しむ。

夕方近く、自転車で近場の図書館へ読まねばならない資料本を探しに出向く。
こんな本は誰もが読まないだろうと言うマイナーの本だが、いつもの場所にない。
世の中は広いものだと思う。

少し暗くなりかけた時間帯。
ランプを点けて神社へ。
残り少ない今年の日数にお願いをする。

3日 水曜   現実が変われば対応も変えるのが当たり前

朝方は空は青いが寒かった。
時間が経つに連れて温度が上昇、ピークでは17℃という。

巧に麻生政権は「小泉政権からの離脱」を図っている。その為に微妙な麻生発言がマスコミの槍玉に上がる。
自民党総務会。
政府税調のまとめ。
自民党政調全体会議。

組織のカナメを使い、自民党議員の頭に残る「骨太の方針06年」を改革し消し始めている。言わば「自民党をぶっ壊す」といった幻想を止めて、本来の保守自民党への戻り波で集団内の様々な波紋が広がっている。
ある意味では「小泉氏を含む麻生氏までの幅」での自民党的な内部での弾力性を戻そうと言う流れだろう。弾力があっての自民党。一つのイデオロギーで固まる事は自民党の破滅だと思う。
だが、最近はこの弾力での内部の空気が弱くなっているのは確かだ。だからこそ、小泉流での「弾力ある空気」を注入したのだろうが、パワーが弱かった。昔からの空気に染まってしまった。そんな感じがする。

オバマ氏も新人事を決めて現実的な政治対応ができるような準備をしている。
クリントン時代の基本政治手法を再び学んでいく必要が在るのだろう。オバマ個人への幻想は、日本政治では持つ必要はないだろうと思う。

その意味では麻生氏の小泉路線離れは正解だろう。
自民党の若手も素早く転換してクリントン政治の「再学習」が必要だろう。
小泉氏が悪いのではない。ブッシュとの関係で小泉氏が果たした役割は終わったと言うだけだ。

他国の政治に「内政干渉」する「日米構造協議」なるやり口を反省し、口を挟まれない「政権」関連の組織構造を強くする人材の登用が必要だろう。

アメリカ投資銀行の「出世するやり口」の人材の破綻は見えた。
今度は、ホワイトハウスでのトップ人材と
3000人からの組織模様替えで「政治的出世」を目論む連中との「戦い」が日本には待っているのだ。
仲良くする事での戦いは、次へのステージに変わった。変わった事への対応能力こそが政治に求められている。
政治理論の立派さや理屈の捏ね方ではない。

現実に深く食い込む「コトバ」を作り出せる政治家が必要だろう。
お互いが脚を引っ張り合う永田町的な政治で90パーセントも疲れるのではなく、国民のために疲れて欲しい。

2日 火曜   オバマ新人事は何を語るのか

昨日の近くのマンション火事。
地域版の記事にでていた。
77歳、無職、一人暮らし、と記載されている。
年末の暦にあわせるかのような寂しい記事だ。
散歩の時などはお会いしていたのだろう、顔は知らなくとも。
ありふれた言い方だが、お互いに「都会の孤独」を楽しんでいたのか、それとも「悲哀」を感じながら歩いていたのだろうか?

アメリカNY市場は至上4番目の下げ幅を記録した。
今や何番目とかの発表に反応する「鋭敏さ」さえ失われている自分の感覚に驚いた。
100年の大津波だそうだが、泳ぎきれないままに流されていくのだろう。

オバマの新人事が出てくるが、クリントン時代の「返り咲き」で何だか「昔の名前で」でています、歌謡文句になってきた。
これでは、投票した人々の「チャレンジ」と言う幻想も消し飛ぶだろう。
「ホワイトハウスをぶち壊す」という政治幻想は、「自民党をぶち壊す」というフレーズとダブって見えてくる。
いやはや何時もならアメリカの真似をするというが、今回は日本の真似をオバマ氏はしているのだろうか?

麻生氏支持率の下落で小沢氏は「超大連合での選挙管理内閣」構想をぶち上げた。
自民党若手もぶつぶつ言い出した。二ヶ月前には自民党5人での党首選挙を「遊んで」いた事を忘れるが如くなり。やはり、2世、3世は選挙坊ちゃんだ。
09年予算が決まる時期には、インド洋油補給法が切れる。
すでにアメリカはオバマの政権、イラク、アフガンへの方針も具体的に決まっている事だろう。
さて、どうするかだ。
アフガンへの「陸自」派遣はあると、私は見ている。
イラクでの陸自派遣と同様な理屈と援助の仕方だろう。
インド・ムンバイでの同時爆発テロ事件は、来年のアフガン陸自派遣の道を作ってしまった。

オバマ氏の「政治幻想」は、アメリカも含めて日本などがどうなっていくのかの歴史の転換点ではないだろうか?
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