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ルーズな宗教感覚が人を豊かにしてくれる

7日  木曜
猛暑
でかけて歩く楽しみを感じられるような「空気」ではない。

じっとしていても汗がでる。
汗がでる内が、まだ若い証拠と言われてしまった。

汗もでないで「枯れる」というのが年齢の証明ですよとも言われてしまった。

なるほどな、と実感はできた。

そういえば葬式で「お通夜」というのは何だろうなと思っていた。
梅原猛の説明では、あの世とこの世は時間が逆で、この世で「達観された死んだ人、動物など生命のあるもの」を夜に送れば、あの世の朝に到達できる。そして「この世」での話しをあれこれと語り、新たな「生命」になり、再びあの世から、この世に戻ってこれるというのだ。

確かに「太陽の生命の循環」は面白い。
更にアイヌ民族の熊への対処。「イヨーマンテノ」もオモシロい。
あの世から人への貢物としてこの世に来た。
人は熊を感謝して食べる。
熊の「タマシイ」を夜の儀式であの世に送り返す。
あの世に戻った熊は人の役に立ち、タマシイを送り返してくれる人々への感謝を語る。
ならば、自分も志願して「あの世の人間社会」に行ってこようとする熊もでるというのだ。

なるほどな「アイヌと熊」の常態的な関係が、そうだったのかと判った。

ならば「この世」で犯罪をなした人も、なさぬ人も、「あの世に」送られて、再び「この世」に戻ってどうするのだろうか?
だから、人は神になる前に一度成仏して「ほとけ様」として修業をさせられるのだろう?

修行が済めば再び「この世」に帰還できるのだろうか?

神との契約で人はどうあれ「死んだあの世」のことは決められているという「宗教」よりはボケ老人などの感覚に列島の「神仏」観はあっているようだ。
だからかな、確かに「キリスト教の人々」は16世紀の大航海時代から列島にも存在するが、「権力」を握れなかったことはボケ老人のような神の前で契約するのは苦手な人間には、やはり列島の神仏が似合っているのだ。

あるいは「神の前では誰でも平等」と言われながらも現世での「暮らしの不平等」や「暮らしの中での細かな宗教的儀式」に従うことで誠意ある宗教人と言われることも「窮屈」だなと思ってしまう昨今だ。

やはり「ルーズな空気」の中での自分なりの宗教観を認めてくれる列島の神仏観が一番だ。

テーマ : 日常雑感
ジャンル : ブログ

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