スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

トルコの「クーデター」の用語は「反乱」として熱く感じた

16日  土曜
晴天
九州の南側が大雨と土砂崩れで被害が広がっているようだ。

これだけ「不安」な暮らしの「対象」をぜひとも自然の神をなだめる手法で「土地での暮らしが落ちついてできる」政治課題としながらもう一度やり直す必要を感じるばかりだ。
コンクリートでの防御だけではなく、植林等の次期世代に「材木」という豊かな素材を伝えれる「政策」はできないものだろうか、と思うが「行政」の上からの目線で「線引き」作業しかやらない「役人業界」に期待するのは無理な時間に入ってきたのだろうか?

暮らしの「現場」で試行していく実行力が「劣化」したのだろうか?

教科書的な歴史で習ってきた「オスマン帝国」の崩壊後のトルコ「現代史」には本当に疎かった。
中東の「紛争」が様々な分析記事が、書籍がでてはいる。それらはトルコの歴史を知らなければ、単なる国際政治での「ロシアやアメリカの関与、陰謀」としてはあり得ても、オスマン帝国の持っていたエネルギーの現在につながる「今日」を感じることができるのかを「感じた」トルコのクーデター報道だった。

「クーデター」というコトバの響きにボケ老人はひどく熱くなっていた。
いろいろな意見もあることは承知の上で個人的な感想を語るならば、この横文字ではもう一つピントこない。

やはり「反乱」というコトバがボケ老人にはぴったりとくる。

日本でもいろいろと「軍の青年将校」が世間での動きを示した歴史がある。
とりわけ、北一輝が思想的に大きな影響を持ったといわれる「2・26事件」には関心が大きかった。

時代の流れの中で「思想」なる目には見えないが人々の間をつなぐものの考え方であっても、何故に「軍隊」という部分で「熟成・発酵」するように事件として噴出するのだろうか?

確かに市民を巻き込み「死去」する権利は軍隊にはない。
人を殺すことの「認識」を親鸞は歎異抄第13条で語っている。
「業因」がなければ一人でも、千人でも殺すことはできないという。

今回のトルコ「クーデター」が何に対する「反乱」だったのかを知っても無駄なことだとは思えない。
ある意味で、「反乱」という厳しい人間関係が薄れている列島の空を眺めながら散歩を楽しんでいたのんびりとしたボケ老人だった。

テーマ : 日常雑感
ジャンル : ブログ

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

中年不良探偵団

Author:中年不良探偵団
FC2ブログへようこそ!
酒とネコをこよなく愛し旅に生きたい種族

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。