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最近は目覚めが早くなっている、老人病か?

26日   金曜
晴れ
猛暑
いつもより30分も早く目が覚める。

テレビも新聞も早朝には見たり、読んだりはしないので仕方がないというか図書館から借りてきた本を捲る。

「エピクロスとストア」
教科書的な歴史の学びでは「何が」欠落しており、判らないままに一般的な「常識」なることばかりを「勉強」」していたのかが少しだけ「判った」ような気分になった。

「判らないままに」しておくよりは少しだけ年をとっても学べば「判る」ようになるのは楽しいことだ。
それにしても「一つの学派」を作ろうとすれば「従来からの」常識となっている「他の学派」というかその時代の主流派からの批判、攻撃が政治の名で行われるのは、なんだか「現代」とも似ており、モノを考えることというのはエピクロスにとっては「命がけ」だったのだなと知ることができた。

でもな「その命がけ」で自説を主張する「内容は」まだまだボケ老人の能力では無理なようだ。
一つのヒントとしては、資本論や革命家の話しで強調される「マルクス」は、若かりし頃はというか「哲学」を学ぶきっかけは当時のヘーゲル哲学の若き「左派」であったのは当時ドイツの空気では敏感な「若者」の一人だったのだろう。

彼は「学位論文」として「デモクリストの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」なるものを書いているのだが、これはマルクス学派の間ではあまり評判にはならない。
何故だろうか?

ここらあたりに昔の「ソ連時代」というか時期に「官製革命論」として作りだされた「学問体系」に「権威」があり各国の「共産党」関係に強い影響を持っていた「学問」なのだなと、今になればはっきりと「判る」のだが、では、なんでヘレニズム時代までさかのぼってエピクロスの「何を」栄養素として今にくみ取らなければならないのかはボケ老人にはまだまだ「判らない」ままだ。

「革命」などという堅苦しい意味不明の使われ方の時代から「哲学」はもっと自由になる時代がやってきてはいても、その自由の内容はまだまだなのだろう少し大きい文字

モノを考えていくというのは、「常識」に賛成するにしても「批判」するにも長い時間がかかるものだ。

ボケ老人にはなんだか「お経」のように感じる日本の哲学者「西田幾太郎」が語るコトガラハ「判らないものの」好きだ。
例えば
知的直観というのは、自己がイデヤに合一することではない、又所謂主客合一ということでもない、自己が直に自己を見ることである、自己が自己の奥底を見ることである。(『一般者の自覚的体系』)

やっぱりボケ老人にはお経のようなものだった。
でも、なんだか「ありがたみ」というかものを考えていくときの「参考」になるような気分は膨れてくるのは確かだ。

テーマ : 日常雑感
ジャンル : ブログ

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