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セミの季節は終わるが、人間社会は終わるわけにはいかないだろう

4日   日曜
晴れ
猛暑
まだまだ続く猛暑。

朝の早い時間に鳴いているセミの声も悲し気にかわった。

祖先を残したかどうかは聞いても答えられない「セミの死骸」が増えた。
こうして少しづつ変わっていくのだろうが、人さまは「替わった」後でないと「判らない」のだからのんびりしたものだ。

自然気候の科学的な分析技術は進む。
だが、気候への人間の気分は遅い。
この技術的な進化を「人間社会」の変化にかぶせて判断すると碌なことはない。
どうしてだろうか?
よく考えてみてもわからない。

西田幾太郎はこんなことを考えていたというが、やはりボケ老人には「お経」のようなもので、よくわからない。


知的直観というのは、自己がイデヤに合一することではない、又所謂主客合一ということでもない、自己が直に自己を見ることである、自己が自己の奥底を見ることである。(『一般者の自覚的体系』)

今日もボケ老人は考えてみたが、自己は自己でしかわからないのだろうか?
他をわかっている自分が自分を知ることかな、と思うが、他から見た自分を想像はできても、自己の奥底を見るとはどういうことだろうか?

竹には節がある。
節で竹は自分の成長がわかる。

人はどこまでが「成長」であり、この成長で自分が判るということは、言えないだろう。
生物的な年齢での人間と、人間世間での年齢とは「同じ」ではなかろうと思う。

それにしても、日本の哲学者「西田」節は難しい。

テーマ : 日常雑感
ジャンル : ブログ

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