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う~んむずかしいな「成熟」することは

8日   木曜
朝は曇天
やがて猛暑に
朝方3時に目が覚め、眠れなくなった。

仕方がないので「読書」なり。
いや~まじめなことではなく、詩人吉本隆明の手元にあった「高村光太郎」をもう一度読もうと思ったのだが、どうやら自分の中に眠っていた「成熟」という世間ではそれなりの年齢になれば落ちついて「青きコトガラ」を語るのではなく世間相場のコトガラを語れなければ「バカだよ」という空気になじんできたのだろうか?

朝のラジヲ体操にいけば、やはり高齢者が多い。
うまく関節が動かないのを辛抱強く通っているうちに「こんなに柔らかく」なったわよ、と嬉しそうに語る顔。

脳梗塞で補助車でここまで来るのがやっとだったが、最近はゆっくりゆっくり歩いて、ここに自力で来れるわよという顔。

膝が痛く、高齢者の無料パスで、バスや都営の地下鉄を乗り継ぎながら「上野動物園」に行くのが楽しみで、ここで身体をもみほごしているのよという顔。

いろいろな「顔」が存在する。
接触はなかなか「内面社会」にまでは至らない。
だが、自信に満ちた「顔」からは、ここまでやってきた「誇り」が皴となっているのが、若造のボケ老人んも理解はできる。

さて詩人吉本「高村光太郎」の目次でいえば第二部、Ⅱの三「成熟」についてだが

「成熟はどんな芸術家にとっても、そんな生活者にとっても逆説的にしかやってこない」という視点だ。
いつもながらの難解な文章ではないが吉本は説明してくれている。
「ふつうの生活人はかれがやっと一個の生活者として独行の自覚に達したちょうどそのとき、網の目のような社会の関係にからめとられて身動きもできず、すこしも緊張をゆるめることができないようになる。」~~
「かれが成熟に達したとき、じつはもっともひどい断崖のふちを綱渡りしているということを体験的に知っているはずだ」というのだが、高村光太郎は留学から帰り、じぶんの彫刻は世界の彫刻界に一つの位置を占めうるはずだという自信を持つに至ったときに「かれの生活は物質的にも<関係>としてもほとんど危ない断崖にさしかかっていた」という。

ボケ老人はこの視点が好きだ。
市井に暮らす僕たちも、芸術に生きる高村も、「人はなぜ成熟し老年になり、やがて死ぬのだろうか?こういう問いに対する唯一の答えは、人は彼が青春時代には予想さえもしなかった負荷をみずからに課し、その負荷を放り出して息をつく時間を絶対に持ちえないようにできあがっているからだということである」。

じぶんで「自分なりの」自然を生きることが成熟だと、今のボケ老人は納得している。

う~ん、むずかしいことだが。

テーマ : 日常雑感
ジャンル : ブログ

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